日々の制作と家族のこと。

バラバラな家族との日常と自分の制作の事

モズクスープを飲みながら自分の作品を眺め、、、ヤマちゃんをおもう。。

こんにちは、、

何かにつけて、、休憩をしています。

 

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今は、もずくスープを飲みながら、、

 

先日、現代アート販売のタグボートさんに

3点登録したて頂きましたが、

夏頃、登録して頂いた作品の

成約を頂いたそうで、確認がてら写真を撮って

ながめていました。

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こちらは、モール信号を記号化した『Still...』

 

私に言葉や文字が無かったら、、

と深く考えたことがあります。

そしてできたシリーズ作品。

 

子供のころのことは、、、どこかに書いたでしょうか?

私の両親はともに小児麻痺により下半身が不自由でした。

でも、当時に珍しく仕事を持っており、そんな両親を頼って

いろいろな障害を持つ人々が集まり、

一緒に暮らしておりました。

今で言う、福祉作業所に当たるのかもしれませんが、

50年前は今のよう障害者が活躍できる世の中ではなく、

不自由な体で出ていくと、、、

白い目で見られる時代でした。

健康なのは私と私の姉、、、と当時健在だった祖父。

多い時は10人以上の何らかの障害を持った人達と一緒に暮らしていました。

その中に、耳の聞こえない人がいました。

ヤマちゃん。

 

ヤマちゃんは、耳が聞こえず、、、それに伴って言葉もしゃべれませんでした。

今思うと、知的にも問題があったのかもしれません。

いつも、ヒャックリのような音を発していて。。

でも、ヤマちゃんは、手も足も不自由なく動かせる人だったので、

大活躍でした。

それでも、、、言葉が通じないというのは、本当に難しくて、悲しくて、、、

時折、そのもどかしさに感情を爆発させることがありました。

ヤマちゃんが、爆発すると、悲しかった。。。

そんなヤマちゃんに最後にあったのは、母のお通夜の晩でした。

私たち家族のもとから離れて、30年?

母の死を何処で、知ったのか、、、自転車で駆けつけてくれました。

皆、神妙な顔をして私たちにあいさつされる中、

後ろの屏風から変なうめき声が聞こえたかと思うと、、

ひょっこり顔を出したのはヤマちゃんでした。

ホンマ、笑い泣きしました。。。

そのヤマちゃんも、、、今はもう天国です。

 

私が、いくら、言葉や文字を知らない自分を想像したところで、

それは想像にしかすぎません。

彼の、彼らの本当のところは、

異国の言葉が全く通じない場所に行ってさえも分からなかった。

 

『Still...』はそんなことからはじまったシリーズでした。

ご成約中の作品ですがよろしかったら見たください↓

ec.tagboat.com

 

 

最近は、、ちょっとお仕事の話ばかりになっていますが、、、

こんな私のブログにご訪問いただき、ありがとうございます。

 

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