日々の制作と家族のこと。

バラバラな家族との日常と自分の制作の事

どら焼きを食べながら、、、一区切りつきました。

曇り

 

久しぶりのどら焼き。。。



今日は父の四十九日の法要があり

近しい親戚の人が集まりました。

 

コロナ以降、、いろいろな事の形式が変わりました。

でも、気持ちは同じなんだと思いました。

 

父は6人兄弟の長男ですが、

すでに兄弟うち二人はなくなっています。

このあと、、このメンバーで集まることもないのかもしれないと。。。

姉と話しながら、、いろいろなことをすすめてきました。

 

お寺さんでの法要で、

お供え物の話をお寺さんにお聞きしたら、

お花も用意してくださるとのこと。

あとは本人が好きだったものでもということでしたが、

としより夫婦、お一人の家に持ち帰っていただく事を考えて、

本当に極めてシンプルな用意となりました。

 

お寺さんから御膳はなし、、

お弁当でも。。

ただし自分の弁当はいらないと。。。

 

お寺の住職と義兄は同級生で、坊守さんも私と友達。

そんなこと言わずに。。とならず、そのように。

 

今までの形式的な事の中で、

本当に必要と思われるものが残っていくのかなと思います。

 

どら焼きは義兄の実家からです。

おすそ分けでいただいて、やっぱりおいしい(笑)

 

写真は、、、父と母の若いころ。

部屋の机回りの片づけをしていたときに出てきました。

 

当時、、日本で手動式の自動車に乗っていた障害者が少なかったころ。

父も母もポリオ(小児麻痺)でしたが、母はまだ立つことができました。

父は立つことができない人でしたが、とても行動力のある人でした。

 

幼いころ、、、父の助手席に乗って一緒に配達に行きました。

父が車を前の道に止めて、

子供の私たちが配達先の家の人を呼んで受け取りに来てもらう日常でした。

 

おかげさまで、私たちも本当にいろいろなところに連れて行ってもらいました。

 

今と違い、、、障害者に対する区別、差別のある時代でした。

そして、、残念ながら、、今もその差別や区別が完全になくなってはいません。

時折、、、私の方に特別支援学校の子供たちが字を書きに来てくれていました。

今は高等部を卒業しお仕事をしている子もいます。

違っていることは仕方がない。。。

でも色々な経験をしながら、心をたくましくして

日々皆頑張ってくれていると思います。

 

コロナのこともあり、、

入院後の父に会うことがままなりませんでした。

それはとても残念でした。

家族のために一生懸命に生きてくれた父でした。

 

一区切りつきました。

 

このあと、、あまり父のことをお話しすることはきっとありません。。。

 

読んでくださってありがとうございます。